元気になる詩、強くなれる言霊。。
 私からあなたへ
  Pay it forward
夜と霧〜ヴィクトール・E・フランクル 訳 霜山徳爾
 「苦悩の冠」より〜

創造的および享受的生活ばかりが意味を持っているわけではなく
生命そのものが一つの意味をもっているなら
苦悩もまた一つの意味を持っているに違いない。
苦悩が生命に何らからの形で属しているならば、
また運命も死もそうである。
苦難と死は人間の実存を始めて一つの全体にするのである!






絶望との戦いより〜

ここで必要なのは、
生命の意味についての問いの観点変更なのである。
すなわち人生から
何をわれわれはまだ期待できるかが問題ではなくて、
むしろ人生が
何をわれわれから期待しえいるかが問題なのである。




すなわち、われわれが人生の意味を問うのではなくて、
われわれ自身が問われた者として体験されるのである。
人生はわれわれに毎日毎時間問いを提出し、
われわれはその問いに、
詮索や口先ではなくて、正しい行為によって
応答しなければならないのである。
人生というのは結局、
人生の意味の問題に正しく答えること、
人生が各人に課する使命を果たすこと、
日々の務めを行なうことに対する責任を
担うことにほかならないのである。

この日々の要求と存在の意味とは、人毎に変わるし、
また瞬間毎に変化するのである。
従って人生の生活の意味は
決して一般的に述べられないし、
この意味についての問いは
一般的に答えられないのである。

各人にとって唯一つで一回的である人間の運命は、
この具体性を伴っているのである。
如何なる人間、如何なる運命も
他のそれと比較され得ないのである。
如何なる状況も繰り返されないのである。
そして、
その状況ごとに人間は異なった行動へと呼びかけられるのである。





〜〜〜〜
リルケをして「苦悩の極みによって如何に昂めらし」とうたわせるもの

全くわれわれにとって苦しみぬくこと、
「苦悩の極みによって如何に昂めらし」うることは充分にあったのである。
従って必要なものはそれをいわば直視することであった。
もちろんそこには、気が弱くなる危険や、
秘かに涙を流したりすることもあるのであろう。
しかし、彼はその涙を恥じる必要はないのである。
むしろ、
それが彼が苦悩への勇気という偉大な勇気を持っていることを
保証しているのである。
しかし、そのことを知る者は少なく
多くの人は恥じながら
彼が何度も泣き抜いたことを告白するのである。
・・・わたしがかつて、どうして彼の飢餓浮腫が癒ったかと聞いたある友は
比ゆ的に次のように云った。
「私がそれを泣きぬいたからです」



〜〜〜
しかしながら
人生は彼らからまだあるものを期待しているいうこと
すなわち人生におけるあるものが
未来において彼らを待っているということを
示すのに私は成功したのであった。

この各個人が持っている、
他人によって取りかえられ得ないという性質
かけがえないということは、
意識されればー
人間が彼の生活やいき続けることにおいて
担っている責任の大きさを明らかにするものである。
待っている仕事。あるいは待っている愛する人間、
に対しても持っている責任を意識した人間は
彼の生命を放棄することが決して出来ないのである。
彼はまさに彼の存在の「何故」を知っているのであり、
従って、また「ほとんど如何なる如何に」にも耐え得るのである。

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